「デジタルロッカー」というビジネス
 
 デジタルロッカーというビジネスについて述べる前に、その出自としてオンラインストレージというビジネスについて述べておこう。
 オンラインストレージとは、インターネット上に個人用ハードディスク領域を確保して(バーチャルディスク)、そこにファイルを保管して活用するサービスのことだ。アメリカでは1999年頃から盛んになった。

 オンラインストレージサービスの元々の利用法はバックアップと考えることができる。大切なPCのファイルやフォルダをバックアップする目的での利用だ。
 通常はPCのHDDの残り容量が足りなくなってきた場合は増設を考える。それをインターネット上に必要なスペースを提供することで安く(時には無料で)提供する。 さらに、個人の環境に於いて万一HDDがクラッシュしたときのためのバックアップ作業は結構面倒だが、その作業もネット上でまとめて対応する、というのがこのサービスのアピールポイントだ。
 やがて、バックアップ目的のオンラインストレージサービスは共有型へと変化していく。この変化はサービス側の変化というよりも、ユーザーの利用形態に因るところが大きい印象がある。
 例えば、大きなファイルや複数のファイルの受け渡しをする場合、いきなりメールで送るのは相手の通信環境によっては迷惑となる場合もある。企業に於いてはメールサーバへの負荷を下げる目的でメールに添付するファイルの大きさを限定していることも珍しくない。 そうした場合は目的のファイルをオンラインストレージにアップロードし、相手にIDとパスワードをメールで伝えるだけで済む。
 このファイル共有のセキュリティレベルにバリエーションを与えることでオンラインストレージの共有サービスは構成される。 誰とでもファイルを共有できるものから、同じサービスに登録しているユーザーに限定、ユーザーが希望した相手だけを選べるなど、こうしたバリエーションによってビジネスユーザー向けや個人ユーザー向けといったサービスの方向性を与えることができる。

 このオンラインストレージサービスは他のインターネットサービスと同様に無料サービスを基本として発展してきた。 当然、収益は広告収入を当て込んでいたわけだが、ネットバブルの崩壊と共にその目論見はほぼ崩れ去った。 そのため、無料オンラインストレージサービスは次々と閉鎖の憂き目にあっている。最も多くのユーザーが利用していたとされるサイトの一つ米i-driveも2001年6月18日に個人向け無料サービスを停止した。
 この状況の中で何とか生き残っている事業者、またこれからサービスを開始しようとしてアメリカの状況を目の当たりした日本の事業者はそれぞれに有料化の道を探っている。
 一口に有料化といっても簡単なものではない。単純に無料だったものを有料化しただけでは、ユーザーは離れていくだけだ。
 いくつかの試行錯誤の中でビジネスモデルを構築しつつあるのが、既存のネットサービスのオプションとしての提供、もしくはサービスの高機能化だ。

 ネットサービスのオプションとは、例えばISPのサービスの一つとしてストレージサービスを提供するというものだ。 ISPの会員になることでメールアドレスやホームページ領域がオプションとして付いてくることは今では珍しくもないが、これらと並べてオンラインストレージサービスを提供することで競合する業者との差別化を図ることができる。 上記のi-driveもこれまでの事業の中で培ってきたノウハウをISPや通信業者向けにソフトウェアのライセンスとして提供するビジネスを進めている。 日本でもソニー系オンラインストレージサービス会社のウェブポケットは@niftyに自社サービスを提供している。
 また、より切実かつ基本的な問題としてオンラインストレージサービスの利用法がユーザーにアピールできていないということも指摘できる。どのような形式のファイルでも保存できるというサービスは、PCに慣れたユーザーでも自分のPC環境に応じた効率的な利用法に思い悩むことが少なくない。 無料オンラインストレージサービスを最も盛んに利用していたのがアダルト関連の静止画や動画のファイルであったことは、サービス事業者がその対策を施したことからも容易に想像できるし、このことはユーザーにとってメリットのある利用法を正しくアピールできなかったことを意味している。
 そこで、扱えるファイル形式を限定し、用途をサービス事業者側で明確することによりユーザーに利用の動機付けを与える試みも始まっている。 例えばファイルの種類をデジタルカメラ画像に特化した「オンラインアルバム」、 メールやアドレス帳などビジネス向けデータに特化しPDAとの共有も可能にする「SYNCサービス」などが挙げられる。 こうすることにより、サービス事業者側もターゲットが明確になり、高機能化によってサービスの質の向上も図ることができ、それに応じた有料サービスの展開を期待することができる。
 この高機能化したサービスの一つとして音楽配信もビジネスモデルとして構築できるのではないか。このアイディアを「デジタルロッカー」と呼ぶ。

 デジタルロッカーと呼ばれるサービスの試みはこれまでもいくつかなされてきた。
 そもそもMP3ファイルは容量が大きいため、初期のオンラインストレージサービスでもMP3ファイルの利用は多く、いくつかのサービスはMP3ファイルに特化したものとなっていった。 そうした中で最も有名なのはMP3.comの「My.MP3.com」だろう。
 2000年1月に発表されたMy.MP3.comは「Instant Listening Service」と「Beam-it」の2つのサービスから成り立っていた。
 「Instant Listening Service」は、ユーザーがMP3.comと提携するECサイトで音楽CDを購入すると、音楽CDが手元に届く前にMP3.comのユーザーのアカウント上(デジタルロッカー)に購入した音楽CDのストリーミングデータがアップされ、試聴ができるというサービス。 一方の「Beam-it」は、ユーザーが所有している音楽CDをパソコンに挿入すると、MP3.comのデータベースに該当する音楽CDのデータがあれば、 ユーザーのアカウント上(デジタルロッカー)にMP3データがアップされ、どこからでも自分のCDライブラリを聴くことができるというサービスだ。
 それまでのオンラインストレージサービスがユーザーからファイルのアップロードという作業を必要にしていたのに対し、このサービスはデータ内容が確定しているのであれば事業者側がファイルを用意するという点で特徴的だ。 ただし、このサービスはその使い勝手もさることながら、米レコード協会(RIAA)に著作権侵害として提訴され、MP3.comが反訴するなど訴訟合戦となったことでより知られるところとなった。
 MP3.comが認められている範囲を超えて著作権で保護されたデジタル音楽のライブラリを使用し、著作権者の許可を得ずにデジタル音楽のデータベースを構築したというRIAAの訴えは理屈としては理解できよう。 その上で、いずれのサービスもユーザーの音楽CD購入が前提となっており、それまでのMP3を巡る論争の中ではかなり良心的なものであると言える。これに対しいきなり提訴をするRIAAの姿勢には疑問を持たざるを得ない。
 また、当事者でないため分からないが、その当時のMP3.comはレコード会社へ新たなサービスのアピールが足りなかったのだろうし、レコード会社もMP3.comに過剰反応をしていたと想像される。
 実際、この後、MP3.comは判決で敗れる一方で、大手レコード会社と次々とライセンス契約を結んでいく。さらに予めレコード会社と契約を結びながら同様のサービスを展開するMusicbankといった競合も現れた。 すなわち、ビジネスとしての正当性は認められたことになる。
 ただ、Musicbankは2001年4月11日をもってサービスを停止、MP3.comも結局2001年5月20日にVivendi Universalに買収されてしまう。 そうした状況の中でデジタルロッカーもインターネットビジネスの失敗例の一つとして捉えられることが多くなってきている。

 しかし、デジタルロッカーはより洗練されたサービスを提供することでビジネスとして成立できる可能性を秘めていると考えられる。そこでのデジタルロッカーのイメージとは以下のようなものだ。
 まず、ユーザーがネット上で音楽配信サービスを利用し欲しい楽曲を購入すると、ユーザーのネット上のアカウントスペース(デジタルロッカー)に購入した楽曲がアップされる。楽曲を聴く場合は自分のアカウントから楽曲ファイルをEMDプレーヤーにダウンロードする。 ダウンロードした楽曲ファイルのコピーや移動は制限され、場合によっては一旦EMDプレーヤーの中から削除しなければならないが、ネット上のアカウントには購入済みであるという履歴が残っているため繰り返し何度でもダウンロードすることができる。
 考え方としてはユーザーは自分のデジタルロッカーに購入した楽曲のライセンスを保管していることになり、それに応じて楽曲ファイルの利用ができるというものだ。
 システム的には、実際の楽曲ファイルのデータベースとユーザーのアカウントデータベースをリンクする仕掛けを構築すれば、デジタルロッカーに楽曲ファイルそのものを保管するわけではないので、ストレージがユーザー利用に併せて巨大化していく恐れはない。

 実はこのサービスイメージに於いて、現在の音楽配信サービスが抱えている課題のいくつかが解決する。
 現在の音楽配信サービスにおけるユーザーの不満の最たるものはPCに保存したファイルの不自由さだ。 著作物であるからファイルのコピーや移動が制限されるのはともかくとしても、HDDのクラッシュ、OSのアップグレードといったPCにおいては当たり前の現象や作業によって、購入した楽曲ファイルは無効になってしまう。 その救済は音楽配信サービス会社の運用に任されており、利用規約の中で予め無効になる旨を謳っておくことが当たり前となっている。
 理屈としては、購入した音楽CDを割ってしまったら、店に持っていっても交換してはくれないだろうということかもしれないが、PCにおいては楽曲ファイルが無効になってしまう可能性が遙かに高い。 そもそも2年に1度はOSがバージョンアップするし、新しいアプリケーションソフトを導入するだけでも具合が悪くなることがあるのだ。 購入した楽曲ファイルを無効にしたくなければOSもバージョンアップせず、新しいアプリケーションも導入しないで置くより他ない。これではさすがにユーザーに優しいサービスとは言えないだろう。
 ところが上記で述べたデジタルロッカーのサービスイメージの中にはこうした懸念はない。何度でも繰り返しダウンロードできるので、購入したものが利用できなくなるといった心配がないからだ。 その一方で、楽曲ファイルの複製や移動は制限されるだろうし、その中では極力PCのようなオープンな環境には楽曲ファイルをダウンロードさせないという試みがなされるだろう。
 例えばEMDプレーヤー自身が通信機能を持ち、直接デジタルロッカーから楽曲ファイルをダウンロードしてくる。もしくは、PCはあくまでインターネットへの接続機能という役割を担い、 楽曲ファイルはPCのストレージをバイパスしてEMDプレーヤーにダウンロードされる。こうすればPCに保存された楽曲ファイルの取り扱いに悩む必要もなくなる。
 また、この前提に立てばデジタルロッカーの側にEMDプレーヤーの情報を把握することが必須になるため、現在混乱のもととなっている圧縮方式や記録メディアの違いも吸収するようにしたい。 ユーザーが自分のアカウントにアクセスした時点で接続されているEMDプレーヤーを選択し(自動的に認識されれば尚良いだろう)、そのEMDプレーヤーに応じた形式の楽曲ファイルをダウンロードする。 これによって現在の音楽配信サービスの抱えている課題がまた一つ解決することになる。
 こうしたサービスイメージを基にするとEMDプレーヤーの形もまた変わってくるだろう。楽曲ファイルを何度でもダウンロードできることでコピー(バックアップ)させないわけだから、記憶媒体をメディアにしておく理由がない。 単純に必要十分と思われる容量の内蔵メモリだけで構成されるEMDプレーヤーはコストの面からもスタイルの自由度の面からもメリットが生まれる。 さらに通信機能搭載のEMDプレーヤーを考えれば、有線の据置方式もあるだろうし、無線方式のPDAに近い形状のものまで考えることができる。

 このイメージは決して絵空事ではないし、筆者のオリジナルでもない。
 当サイトがインタビューしているリオポート・ドットコムでは上記のアイディアに向かって開発を進めていると談話の中で明らかにしているし、既に発表している「d2d」と呼んでいる技術はPCをバイパスしてEMDプレーヤーに楽曲ファイルをダウンロードさせるものだ。
 また、Bertelsmannグループでデジタルコンテンツの著作権管理ビジネスを手がけるDigital World Service(DWS)は、2001年8月16日付けのリリースでDWS Rights Lockerというユーザーがコンテンツを購入した権利を保管するWeb上のロッカーを発表している (ちなみに同社はBMGの配信に関してRioportとのサービスの統合を発表している)。
 さらにアメリカのHit Hiveという会社は携帯電話向けに同様の仕組みを構築し、楽曲側ではEMIとコンテンツの提供に関する契約を締結している。

 こうして見ると、技術的には十分に可能なところまで来ているデジタルロッカーというサービスだが、普及に至るまでにはまだ障害がありそうだ。
 1つには事業者側の負担が挙げられる。システム的には巨大でなくとも、楽曲は一通り揃えなければならないためコンテンツホルダー側との権利交渉は必要になる。 同様にダウンロードするEMDプレーヤーを複数の方式に対応しようとすると、それぞれの著作権保護技術の開発会社とライセンス契約を結ぶ必要があるだろう。 その負担を回避する策としてEMDプレーヤーの規格を一つに絞ることも考えられるが、採用した規格のEMDプレーヤーが販売競争に敗れた場合のリスクは大きくなってしまう。
 もう1つは通信インフラに関しての問題だ。楽曲ファイルをコピー(バックアップ)できない代わりに何度でもダウンロードできる仕組みを作ったとしても、通信コストがバックアップのコストより大きければ到底受け入れられるものではない。 その中には単純に金銭的なコストも含まれるし、時間的なコストも含まれる。金銭的な負担に関しては有線にせよ無線にせよ定額制は必須だろう。その上で心理的に許容できる範囲内であることが望ましい。 また、時間的なコストとしてはメモリカードなどのメディアを入れ替えるのと同じレベルの簡便さでダウンロードを完了できる通信速度のスピードが求められる。
 そして、最も懸念されることは、そうした技術的、システム的な課題が解決されたとしても(解決すると信ずるに足る技術やサービスは既に明らかになっている)、ユーザーがこの仕組みを受け入れるかどうかということだ。
 元々、音楽という著作物は著作権という権利(ライセンス)を購入しているのであって、ビニールやプラスティックの円盤を購入しているわけではない。しかしユーザーが対価として納得するのはやはり形あるものなのだ。 仮にそれが楽曲ファイルという電気信号となった今でも、HDDやメモリの一定領域を占めるという目で見える(とイメージすることができる)モノにユーザーは納得している。
 デジタルロッカーというサービスは、仕組みとして著作物をライセンスと認識させる前提でユーザーに対価を支払わせる最初のサービスであり、実はこのことをユーザーがイメージし、受け入れるかどうかが、このサービスの成否を占う上で決して少なくない要素と考えられるのだ。
 
参考資料:i-driveのサイト
       @niftyのWebPocketのページ
       My.MP3.comに関するMP3.comの発表リリース
       EMIとの提携に関するHit Hiveの発表リリース
       d2dに関するリオポートドットコムの発表リリース
       DWS Rights Lockerに関するDWSの発表リリース
 
(2001/8/24、日夏雄高)
 
※このコラムは参考資料などを基に分析、予測されたもので内容の正確性を保証するものではありません
 
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