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コピーコントロールCDを肯定する

2002年3月17日、エイベックスから日本で初めてとなるコピーコントロールCDが発売された。

それを遡ること2ヶ月半、2001年末から一般紙でレコード会社のコピーコントロールCD発売の意向が報道されてから実際の発売に至るまで、ネット上には様々な情報が溢れた。
それらの多くは不確かな情報を元にした混乱を多く含んだものだったが、実際の発売以降は実物を踏まえての分析、情報へと変わり、いくつかのサイトには意見や論評も見られるようになった。

しかしながら、「コピーコントロールCDについて」と題される意見や論評は情報不足と短視眼的な捉え方によって、問題の本質を見えにくくしているように思われる。
昨年夏のコラム「MP3-CDプレーヤーは生き残れるか」において、このような事態を予測していた者にとって、この混乱ぶりは意外でもあり、またこのサイトのコラムに何の力もないことを改めて実感させてくれた。
それでも、改めてこの問題について語る必要はあると考えるきっかけになったことも確かだ。

今回のコラムには、少々挑発的なタイトルを付けることにした。それは、こうした態度の表明の不在がこの問題を些末な論議に追い込んでいることにネット上の書き手たちがあまりに無自覚であると感じたからだ。

 -コピーコントロールCDを肯定する-

このコラムの書き手としてその態度を明らかにすることにより、この問題について述べていくことにする。

今回エイベックスがコピーコントロールCDに採用したのはMidbar社の「CDS(Cactus Data Shield)200」という技術だ。世の中には他にもいくつか同様の技術はあり、今後それらが併存していく可能性は否定できない。ただ現時点ではエイベックス以外のレコード会社も含めリリース予定とされているコピーコントロールCDは、いずれもCDS200を採用するとされている。

既にいくつものサイトで述べられているので改めて詳しく述べることはしないが、この技術は著作権保護の観点から言えばかなり緩くなっている。できないとされているPCでのリッピングに関しても、そのやり方をネットで探すのはさほど難しくないし、むしろいくつかの市販ソフトウェアを使えば苦もなくできてしまうほどの容易さだ。

この点について、コピープロテクトの厳しさとCDプレーヤーの互換性は二律背反にあるとされており、コピープロテクトの厳しさよりも、CDプレーヤーとの互換性を優先させた今回の判断は間違っていない(この互換性の問題は後ほど述べる)。
コピープロテクトを厳しくしても、それを破る者は必ず現れる。それよりも、より多くの消費者が当たり前に聞ける環境を提供するのは当然のことだ。
このコピープロテクト技術の緩さからか、今回のCDは「コピープロテクト」ではなく、「コピーコントロールCD」と名付けられた。日本レコード協会が「複製制御CD」という呼び方で追認したことにより、短期間のうちにこの呼び名が定着してしまいそうである。

こうしたコピープロテクト技術の未熟さを指摘するのは技術系(を標榜する)サイトに多く見られる。ただ、それらの意見を見ていくと、あまりの容易さに肩すかしを食らったことに対する憤りという印象を受ける。特にコピープロテクトを外すことを売りにしている者からすれば、自らの技術力をアピールする絶好の機会と期待していたにも関わらず、素人レベルの技術で破ることのできるプロテクトに逆ギレしたというのが適当なのではないだろうか。
そのため、彼らの意見の本質は「コピーコントロールCDに反対」というよりも「コピープロテクトはもっと強くすべき。そうしたら破り甲斐もある」というものになるだろう。

言うまでもなく、このコピーコントロールCDは正しいオーディオCDの規格「レッドブック」には準拠していない。今後登場するコピーコントロール技術においてもそれは変わらないだろう。

このことを取り上げて、コピーコントロールCDの「CD」という呼び方は不適当である、とか、あるパッケージには「オーディオCD」のロゴが残っていた、という議論は問題を矮小化するばかりで本質を見えにくくしている。
呼び名は多く使われれば定着してしまうものであるし、パッケージのロゴについては生産部材の手だてが間に合わなかっただけで、それを論うのは新聞・雑誌の誤植を指摘する程度のものでしかない。

ここで結論めいたものを先に書いてしまうなら、「コンパクトディスクは(ビジネス上)終わったメディアである」ということだ。コピーコントロールCDはその末期に現れた過渡的なメディアに過ぎない。また、本来は世の中に出てくることすら無かったかもしれないメディアであったということができる。

なぜなら、業界として規格化された著作権保護を施したデジタルオーディオメディアは既に存在しているからだ。それはすなわち「DVDオーディオ」であり「スーパーオーディオCD(SACD)」である。これらはCDよりも高音質であり、かつ著作権保護の仕組みを持っている。
これらに対応したソフトが少ないのは単にマーケティングの問題に過ぎない。プレーヤーがまだ高価で、普及台数が少ないからだ。プレーヤーが十分に安くなり普及台数が増えれば、いつだって現在のCDがDVDオーディオやSACDに置き換わってもおかしくない。

新たなメディアということで考えれば、このサイトでも紹介したことのあるDataPlayも候補として良い。ちょうど同じようなタイミングの2002年3月にZOMBAレコードのタイトルがDataPlayメディアで発売されると発表されている。
DVDオーディオやSACDでは音楽の携帯性が損なわれると訴える向きにはDataPlayの可搬性は説得力あるものとなるだろう。
その普及実現度には疑問符も付けられているが、需要が高ければDVDオーディオやSACDの可搬性を補完するものとなりうる。

それら新しいメディアへの移行があまりに理想論というなら、間にDVDビデオを挟んでも良い。
DVDビデオはゲーム機でサポートされたこともあり、既に十分なマーケットを形成するだけの普及率になっているし、ほとんどのメジャーアーティストはプロモーションビデオ(PV)を制作している。最近ではPVを中心にしたパッケージがDVDビデオのチャートの上位にランクされることも珍しくはない。
今後、シングルCDはすべてDVDビデオとなって発売する。そんな方針を表明するレコード会社があっても驚きはしない。その先には「DVDオーディオ」か「SACD」、もしかすると「DataPlay」が待っている。コピープロテクトCDはCDからそれら新しいデジタルメディアへの橋渡しに過ぎないのだ。

コピーコントロールCDを巡る意見でよく見かけるのはその不便さを訴えるものだ。
まず、コピーコントロールによって再生できないオーディオCDプレーヤーが存在すること。これもいくつかのサイトで具体的な製品モデル名を見ることができる。そして、それらの機器のメーカーの出す、「コピーコントロールCDについてはサポートしない」旨のコメントを喜々として並べている。

この互換性の問題に関して、筆者は楽観的に見ている。
各メーカーは横並びにコメントを出しているが、それらは現在世の中に出ているプレーヤーについてサポートできない旨を表明しているに過ぎず、今後の製品についても非サポートと宣言しているわけではない。もちろんコピーコントロールCDに反対の表明をしているわけでもない。

例えば、今後各メーカーがCDプレーヤーの新しいモデルを発表するに当たって、コピーコントロールCDが再生できないままにしていることがあり得るだろうか。特に日本の若者市場を重視する国内メーカーはエイベックスのCDが再生できないプレーヤーを発売することはできないはずだ。今後は少なくともCDSについて対策を施したものを(それを公にするかしないかはともかく)発売してくるだろう。

その具体的な対策もさほど難しくなく、プレーヤーのファームウェアのレベルで十分対応可能と筆者は聞いている。そのため、一部のファームウェアのアップデートを保証しているMP3-CDプレーヤーは早晩コピーコントロールCD対応のファームウェアを発表するものと予想される(もちろん、公にはならない可能性もあるが)。

また、シリコン系オーディオプレーヤーが利用できなくなってしまうという意見は、パソコンでのリッピングを前提に考えているからに過ぎない。
このサイトが最初から主張しているように、パソコンおよびシリコン系オーディオプレーヤーに対しては音楽配信というルートがある。

ブロードバンド環境がこれだけ安く普及してきた状況で、音楽配信が通信料金で割高であるという論理はもう通用しない。楽曲の価格にしても、エイベックスは一曲辺りの価格を200円にすると表明している。
エイベックスの配信は現在、OpenMGによるATARC3しか対応していない。必然的に対応プレーヤーは限定されてしまうわけだが、これもWMAやAACでの配信技術は既にあり、それに対応するかしないかは良いパートナーが見つかるかというビジネス上の問題に過ぎない。

もっとも、それですべてのシリコン系オーディオプレーヤーが利用できるようになるわけではない。著作権保護を全く考えていないMP3プレーヤーは存在するし、そうしたプレーヤーは音楽配信には利用できない。
もしそうしたプレーヤーを大事に使っているのであれば残念であったというより他ない。購入時にその製品が将来に渡って利用できるかは消費者の判断に任されている。そうした購入時の判断ミスは間々あるものだ。

これまで述べてきたように、発売する側が意図していない環境も含めて、コピーコントロールCD(もしくは収録されている楽曲)が本当に利用できない環境は当初想像されていたよりも少ない。
そのため、コピーコントロールCDへの反対を表明しているサイトのいずれもがそうした訴えを多くのユーザーにアピールしているとは言えない状況が存在する。
中には不買運動のようなことを訴えているサイトもあるが、仮にそのCDを購入したいというユーザーがいて、そのユーザーが持っているオーディオ機器においては問題なく再生でき、その音質にも満足している場合、そのユーザーに購入するなと働きかけるだけの説得力に欠けていることにもう少し自覚するべきだ。

このまま規格外のメディアが大量に生産されることへの危機感を訴えることの意義は認めたいが、ユーザーが利用できる環境が与えられていれば大きなムーブメントにはなりにくい。しかも先に述べた通り、規格化されたメディアが出番を待っている状況では新しいデジタルメディアを後押しする論拠となってしまう。

また、エイベックス、そして日本レコード協会はコピーコントロールCDの発売に当たって、音楽CDの売り上げ減の一因を「カジュアルコピー」として取り上げている。
コピーコントロールCDに反駁するサイトが、それを取り上げ、反証するのはまんまと戦術に嵌っているとしか言いようがない。
曰く、「自分の周りにはコピーしている人はいない」とは、自らの狭い範囲での経験を元に、それを世の中全てに当てはめてしまうという「コピーしている人がいるために売り上げが落ちている」という論拠と同じレベルにあることに気付くべきだ。

もちろん、音楽CDの売り上げ減を経済状況や音楽の質、中心となるユーザー世代の消費動向の変化、例えばCDよりも携帯電話代にお金をかけるというような要因は十分に考えられるし、否定することはできないだろう。
ただ、レコード会社はそうしたユーザー動向に最も敏感であることが求められており、それ故に存在意義があるともいえる。それだけに、レコード会社自らがその経済活動ゆえに売り上げ減を自らの努力不足と言うはずもなく、それを指摘したところで意味はない。とりわけ、エイベックスの音楽やアーティストの質を問うのは、さらに議論のレベルを低くしているだけだ。

ここまで、「コピーコントロールCDを肯定する」というタイトルに沿って、筆者の意見を述べてきた。
ただし、筆者もエイベックス、もしくはレコード協会のコピーコントロールCDに関する対応がすべて完璧であるとは考えていない。
そこで、コピーコントロールCDをきちんとユーザーに理解してもらうための行ってもらいたい施策を何点か提言したい。

まず最初に、現在採用されているコピーコントロールCD技術で再生できないプレーヤーの情報をモデル名まで開示すること。
エイベックスという一企業にその任を負わせるのが厳しいのであれば、是非日本レコード協会で音頭を取ってもらいたい。そこで積極的にプレーヤーメーカーと連携をとって再生できるプレーヤー、できないプレーヤーの情報を開示する。媒体はネットでも良いし、理想的には各CDショップでの告知が望ましい。
メーカーからは非対応のプレーヤー情報の開示に難色を示されることは容易に想像できるが、ネット上の噂レベルの不確かな情報が広まることのリスクを考えて欲しい。そうした確固たる情報がないために、MP3プレーヤー関連サイトで「Net MDプレーヤーがコピーコントロールCDでは利用できない」などと誤った情報がまかり通ってしまうのだ。

また、言い方は難しいと思うが、ポストCDに向けたビジョンを示して欲しい。上記で述べているように既にポストCD候補となるいくつかのメディアの規格は存在しており、著作権保護を考えた場合、そうしたメディアに移行していくことは避けられないと考える。
既存のメディアとプレーヤーを捨てることは消費者からの反発を生む要素ではあるが、通信や放送の分野でも新たなデジタル化によって既存の機器や設備の入れ替えは進められており、音楽メディアも同様のビジョンを示す時期に来ているように考える。

さらに、手前みそではあるが、ポストCDの中に多少なりとも音楽配信というメディアが考えられるのであれば、それを積極的にアピールすべきだ。エイベックスでは音楽配信の値下げとコピーコントロールCDの発売には関係がないとコメントしているが、むしろ逆ではないか。
インターネットに対する理解はこの1、2年で大きく変化した。音楽配信がパッケージメディアに置き換わることはまずないだろう。いつになっても消費者は形のあるものを好むものだ。どんなに音楽配信が盛んになってもCDショップは生き残る。
ただ、パッケージメディアを必要としない消費者も存在し、それがレンタル市場を支えている。それがカジュアルコピーの温床になっているのだとすれば、音楽配信を積極的に取り込むことで置き換えを図ることができる。
ブロードバンドの普及も相まって、アピールのタイミングとしてはちょうど良いと考える。それが、カジュアルコピーをパソコンユーザーにこれ以上広めさせないための施策ではないだろうか。

欲を言えば、エイベックスには今後も複数の配信規格に対応する用意のあることを表明してもらいたい。少なくともWMAへの対応はサービス提供業者も少なくないため、条件は有利だろう。
単にコピーをしないように、と訴えるだけでなく、それに代わる様々な努力をレコード会社側も行っていること、それによって消費者の利便性をなるべく向上させようとしていること、そうしたアピールが今求められているのではないだろうか。それらをきちんと受け入れるユーザーは決して少なくないと信じたい。

最後にもう一度、ネット上で展開されるコピーコントロールCD反対運動について述べておきたい。
コピーコントロールCDに反対するサイトが主張する「リッピングする自由」に説得力がないのは、それが彼らが努力して勝ち取った自由ではないからだ。

たとえて言えば、今回のコピーコントロールCDを巡る論争は、「自動車の無かった時代に作られた道路に制限速度を設けるか否か」というようなものだ。道路というものの本質がより安全に人が移動することのできるメディア(インフラと言い換えても良い)であるのなら、そこに新たな技術、この場合は自動車、が生まれた時点でその危険性も踏まえて新しいルールが作られるのは自然なことだ。それに対し、「時速何kmで走っても良い自由」を主張しても暴走族に間違われるだけだろう。

ネット上にも「デジタルコンテンツは無料であるべき」という主張は存在する。それを「暴走族」と同義に捉えることの危険性は承知しているつもりだが、著作物の権利者にとって、それらは自らの財産を危険にさらすものとして同じようにしか見えない、ということは自覚しても良いと考える。
そうした混同を防ぐには自らの依って立つ態度を明確にすることが必要だというのは冒頭に述べた通りだ。上記のたとえを借りるならば、「制限速度のない自動車専用道路は作れないか」などという提案はできるはずだ。そうした新たな提案のない姿勢が議論を不毛なものにしている。

それらを踏まえた上で、コピーコントロールCDをやめさせたいと考えているならば、意見や態度を同じくする企業や団体と共にレコード会社に訴えかければ良い。欧米で行われているロビイ活動のように行政に訴えかけてもいいはずだ。
そうした行動を起こすには金も力もないと言うかもしれない。けれど、本来そうした活動のためにネットは存在するのではないだろうか。本当にコピーコントロールCDについて反対運動をしたいのであれば、ネットを活用していくらでも運動はできるはずだ。
ちなみに、2002年4月30日現在まで「cccd.gr.jp」や「cccd.jp」、「copycontrolcd.com」といった、いくらでも活動に使えそうなドメインは空いている(このサイトの代表者に進言したところ、取得してサイトを開いても内容が重複するので必要ないとの話だった)。

もし、そうした活動が無意味で、所詮大企業の論理で進んでいくものだと考えているのであれば、そうした考えこそが自らがネット上に展開している意見を自己満足の無意味なものにしているということに気付いて欲しい。

最近になって、いくつかのサイトでは冷静に今回のコピーコントロールCDが著作権について考える良い機会だという意見を目にするようになった。
こうした誰も読んでいないかもしれない文章も含め、すべての創作物には著作権がある。今後ますます進歩していくデジタル技術において、それらを考慮しないことは最早不可能だ。

多分、コピーコントロールCDに反対すると表明している中にも著作権は大事だと考える人はいるだろう。そうした人は是非、もう一度何が問題に本質かを考えてみて欲しい。そうした意見の交換が我々が受け取る(配信も含めた)音楽パッケージをより良いものにする原動力であると筆者は信じている。

参考資料:コピーコントロールCDに関するエイベックスの発表リリース
       コピーコントロールCDに関する日本レコード協会の発表リリース
       Midbar Tech Ltd.のサイト
       ZOMBA RECORDSとの提携に関するDataPlayの発表リリース

(2002/05/01、日夏雄高)

※このコラムは参考資料などを基に分析、予測されたもので内容の正確性を保証するものではありません

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