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Rioとは何だったのか -前文

このサイトを訪問し、文章を読んでいる人でiPodを知らない人はいないだろう。具体的な数字を出すまでもなく、単一の会社の製品としては人類の歴史上に残るだけの普及を実現した。
オーディオデータをデジタル化し、保存したフラッシュメモリもしくはハードディスクドライブ(HDD)などの記録媒体から直接読み出して再生するオーディオプレーヤーは、そのジャンルを指し示す明確な呼び名を持たないまま、iPodがその代名詞となりオーディオ分野の代表的な製品となった。

多少なりとも詳しい人であれば、当初はMP3プレーヤー(便宜的にしばらくこの呼称を使わせてもらう)と呼ばれていたそのカテゴリーの製品がiPod以前にも存在していたことはご存知だろう。
ソニー、松下、東芝、ビクターなど、日本のメーカー各社もiPodに先だってMP3プレーヤーを販売していた。それらの中で、大きな存在感を見せていたのがRioだった。

Rioは最初のMP3プレーヤー製品「Rio PMP300」を1998年12月に発売した。それからちょうど10年が経った。
さらにそれ以前にもMP3プレーヤーは市場に存在したが、少なくとも日本国内においてメーカーのサポートがある形で全国販売されたのはRioが最初だった。初代のiPodが発売される実に3年も前のことだった。
そうした先行者のイメージもあり、Rioは高いシェアを誇った。しかし、2005年9月にRioブランドは製品販売を終了し、サポートの終了も宣言し、その約7年間のブランド寿命に幕を下ろした。

このコラムでは、Rioの国内販売に携わった方々に話を伺いながら、Rioの誕生から終焉まで、当時の出来事を踏まえながら、取り巻く状況やそこで起こったことなどを追っていくことを目的としている。
その中から、現在のiPodを中心としたデジタルオーディオの状況に至った経過を浮き彫りにしていきたいと考えている。

また、iPodの成功については多くのマーケティング書やインターネット上のコラム、ブログで解説されており、実際に成功していく過程を知っている人も知らない人もなるほどと納得できるものとなっているだろう。
しかし、そうした成功のエピソードは追体験することはできたとしても学ぶことは少ない。同じように成功しようと考えても、同じことをするだけでは決して成功することはできない。学ぶのであれば、他のメーカーの製品はなぜiPodになれなかったか、ということではないだろうか。

その代表として、Rioはいつ、何をしてきたのか、それはiPodとどれほど何が異なっていたのだろうか。それはまとめておく価値があるのではないだろうか。
それがRio発売から10年という節目にこのコラムを書き始める動機のひとつである。

なお、このコラムは不定期に連載していく。
その中には事実の誤謬や誤解があるかもしれない。また、もっと詳細な情報をお持ちの読者もいるかもしれない。
そうした指摘のために、コメント欄は有効にしているので有効に利用して欲しいと考えている。
その際、この連載コラム企画をより良いものにするために連絡の取れるようにして頂けると幸いである。

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